ロディニアのアニメと音楽ブログ

アニメと音楽について自分なりの考えを書いています。以外のこともやります。

尾崎豊とカート・コバーン(NIRVANA)について思うところ

尾崎豊カート・コバーン

 

日米それぞれの国を代表するカリスマであり、新しい音楽を創った。そして短命でこの世を去った……。カート・コバーン尾崎豊、この二人にはいくつもの共通点が存在する。

 

尾崎豊は私が小学生の頃、「15の夜」の歌詞『盗んだバイクで…」と不良の歌かと思えば、「I  LOVE YOU」の『悲しい歌に愛がしらけてしまわぬように…』ときれいな儚いラブソングであったり、不思議な世界観を持っているアーティストだなあと子供ながらに思ったような気がする。高校になってから「卒業」の歌詞にある『夜の校舎窓ガラス壊してまわった』という歌詞の行動に憧れを抱いていた。どうしてこんなに嫌な学校に行かなくちゃならないんだと本気で思っていたのだ(笑)。


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カート・コバーンとの出逢いは大学一年生の頃に洋楽好きな友人に紹介してもらい、特に「Smells like teen spiritスメルズ・ライク・ティーン・スピリット)」をヘビーローテーションで聴きまくっていたが、二年生の冬に、一年生の頃に買って挫折した初心者用エレキギターセットに、当時塾のアルバイトをしていて出勤兼私の送り迎えをしてくれた先輩に、「[NIRVANAニルヴァーナ)]知ってるの? 自分もギターも少しやるんだ。「Smells like teen spirit」ならギターかなりシンプルで弾きやすいよ」と言われて、さっそくTAB譜をダウンロードし、パワーコードを練習し、ソロパートを練習し、人生で初めて丸々弾けるようになったエレキギターの曲となったのだ! パワーコードの練習のおかげで自分のギターの実力がみるみる上がっていったことを当時実感したことを覚えている。だから私は今でもギターをやっているのだろう。私の生涯の思い出に残る一曲である。


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共通点1 二人ともカリスマ

カート・コバーンは、ロックバンド「NRVANA(ニルヴァーナ)」のフロントマンであり、ギタリスト、リードボーカリスト、メインソングライターとして活躍していた。怒りに満ちた曲作りと反体制的な人物像を通して、コバーンの作曲は、主流のロック音楽のテーマ的な慣習を広げた。オルタナティヴ・ロック(産業ロックやポピュラー音楽とは一線を画し、アンダーグラウンドの精神を持つロックのジャンル)の歴史の中で最も影響力のあるミュージシャンの一人とされている。コバーンはシアトル発の「グランジ」というジャンルのロックを一晩で音楽シーンの最先端に押し上げた。セカンドアルバム「Nevermind(ネヴァーマインド)」(1991年)に収録された「Smells Like Teen Spirit」で世界的な成功を収めた。ファッションも穴の空いたボロボロのジーンズに擦り切れたネルシャツ、赤黒ボーダーなどの古着にくたびれたカーディガンと世界的に影響を与えた。オシャレにこだわらないところが時代的に受けたようだ。            

1991年に発表した『ニルヴァーナ』の2ndアルバム「ネヴァーマインド」はBillboard 200でそれまでトップだったマイケル・ジャクソンの「デンジャラス」を引きずり降ろし1位を記録、MTVではシングル「Smells like teen spirit」がリピートされるなど、当時のアメリカ音楽界に衝撃を与え、ロックシーンがヘヴィメタルから一夜にしてグランジが新たなトレンドとなった。

さらに『ニルヴァーナ』は、全世界で7,500万枚以上のレコードを販売した、史上最も売れているバンドのひとつである

コバーンが8歳の時に両親が離婚。最初は父の元へ引き取られる。トレーラーハウスの中でロックバンドの、ビートルズブラック・サバスレッド・ツェッペリンエアロスミスを聴いて育ち、14歳の誕生日にギターを買ってもらい急速に音楽にのめり込んだ。トレーラーハウスで聴いていたアーティストたちは自身の音楽に強く影響を与えたと後にインタビューで語っている。

 私は特に『ニルヴァーナ』の「You Know You’re Right」という楽曲が好きである。

I will never bother you 絶対お前を悩ませたりはしない
I will never promise to
 約束はできないけどさ
I will never follow you
 絶対お前の後をつけて行ったりしない

から始まり、サビでは

Pain Pain Pain 痛み、痛い

You know you’re right お前は正しいと知っている
You know you
’re right お前は正しい
You know you
’re right そうだ。お前は正しいとわかっている

という歌詞が、物々しいディストーションエレキギターのひずみの強い音)のきいたメロディーの中でコバーンのカッコいいシャウトで唄われる……。まるで別世界にいるような、怒りにも失望にも似た、混沌とした感情が湧き出ているような。私は当初ものすごい凄みを感じとったように思う。


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尾崎豊1983年昭和58年)12月シングル15の夜」とアルバム十七歳の地図』で高校在学中にデビュー。ライブでの派手なパフォーマンスや、夢や愛、生きる意味をストレートに表現した曲である。尾崎はシンガーソングライターとして十代が十代へと、同世代に向かってメジャーレーベルで曲を描いた。その頃感じた社会からの疎外感、葛藤などを曲に描き、同世代の若者たちからカリスマ的な圧倒的支持を得た。他にも「僕が僕であるために」「卒業」など若者の苦悩を唄った。

ジャクソン・ブラウンビリー・ジョエル浜田省吾佐野元春井上陽水甲斐バンドさだまさしなどから強い影響を受けている。

尾崎が音楽に触れるきっかけとなったのは、兄が購入して使用されていなかったクラシック・ギターを手に取り始めたことであった。あらゆるフォークソング、シンガーソングライターの曲に興味を持っていた尾崎は、特に井上陽水が描き出す詞の世界観に強く惹かれていた。

高校2年生の秋、音楽で生計を立てていくことを決意した尾崎はCBSソニーが主催した『CBS/SONY Sound Development Audition 1982』、ビクター主催のオーディションにそれぞれ応募し、CBSソニーのオーディションに合格する。

十七歳の地図』は初回プレスが2,000枚ほどしかなく、事務所やレコード会社も消極的でありプロモーションも行わなかったためにセールスは伸び悩んだ。

しかし、その後口コミにより人気が出て、4thシングル「卒業」の中の過激な歌詞が話題となり、2ndアルバム『回帰線』は大手音楽チャート1位を記録、尾崎の名は瞬く間に全国へと広がっていった。特に10代のころは「社会への反抗・疑問」や「反支配」をテーマにした曲を多く歌い、マスメディアからは「10代の教祖」などと呼ばれた。校内暴力や学生による飲酒・喫煙が横行し、偏差値教育や受験戦争のひずみが現れていた時代世相と相まって一部の若者の間で熱狂的に受け入れられ社会現象となる。10代最後の日に3rdアルバム『壊れた扉から』を発売しヒット、同時期に行われていたツアーも満員となるなど人気は絶頂を迎える。

当時の「シンプジャーナル」編集長・大越正実は「尾崎が3年前にデビューしていたらバカにされたんじゃないかと思う。ちょうどフォークソングを見直しする機運があり、若い人たちが"軽薄短小(価値が少ないこと)"に不安になってきて、言葉を聴き始めたからではないか」などと評している。(ウィキペディアより)

 

 

共通点2 高校中退

 

カート・コバーン 画像出典元「billboard JAPAN」


 

コバーンは幼少期に両親が離婚。学校では「ゲイの友達」がいるために同性愛嫌悪者のいじめのターゲットになることが多かった。高校のクラスメイトの音楽的才能は決してコバーンと見合うものではなく、時にそれが彼を大いに苛立たせた。また、彼が演奏したかったのはパンク・ロックであったのに対し、周囲の人間はヘヴィ・メタル志向であったことも、彼にとって大いに気に入らない点であった。そんな苛立ちからか、次第に周囲との折り合いが悪くなる。また、高校では学費が払えずに中退し、その中退した高校でモップかけのアルバイトをしていた……。同級生が楽しそうに青春を送っているのをしり目に屈辱的な気持ちだったことだろう。そう思う。彼のバンド「ニルヴァーナ」の楽曲「Smells like teen spiritスメルズ・ライク・ティーン・スピリット)」のMVでモップがけする老人をさせ登場させていて、コバーンが高校の学園祭でこの曲を歌っている、二重構造の意味深なそんな演出にしている。コバーンにとって忘れられない経験だったのだろう。しかし、それをジョークとしてMVに登場させているところに、カート・コバーンの屈辱にも負けない意思が見て取れる。そしてそこから世界的バンドへと羽ばたいていくのだ!

 

尾崎豊 画像出典「Sony Music ソニーミュージックオフィシャルサイト」

 尾崎豊は小学5年生の時に転居し、市内の公立小学校へ通うこととなる。しかし、転校先の学校に馴染めず、毎朝登校するふりをして実際には登校していない日々が続くようになった。私も似たようなことを高校時代にしていたので共感できる(笑)。

小学校6年生になると半年に渡り登校拒否を続けており、その間井上陽水さだまさし、イルカの曲をギターで弾きながら歌う日々が続いていたという。

高校受験では、青山学院高等部に合格。さらに、陸上自衛隊少年工科学校の1次試験にも20倍の競争率を突破して合格した。少年工科学校では髪を短くしなくてはいけないと知り、それを嫌った尾崎は青山学院高等部に進学することを決めた。尾崎は問題児ではあったが、学業でも優秀だった。

しかし、喫煙やオートバイでの事故での停学処分や飲酒での乱闘騒ぎで無期限停学になってしまう。単位が足りなく留年になるので自主退学した。

 あるコンサートで尾崎は、「俺が学校を辞める間際。最後に随分、熱心に頑張ってくれた先生が、俺にこんなことを言ってた……『本当は教師なんて、踏み台にしていけばいいんだ』って……。」と静かに聴衆に向かって言った。そして「卒業」を歌いだしたのだ。すごくカッコよく感動的なシーンだが、尾崎豊にとってその教師への感謝と自分のした退学への後悔と心残りのように聴こえてならない。

 

 

共通点3 違法薬物摂取

 コバーンは少年時代からの双極性障害と20歳頃からの持病であった原因不明の胃痛に対する鎮痛剤として使用したことに端を発する薬物依存症に苦しんでいた。さらにヘロイン中毒にもなっていたとされる。94年の3月、鎮静剤の過剰摂取で入院するが、脱走。そして更なる取り返しのつかない悲劇が起こる……。

I'm so happy 'cause today(今日はなんだか気分がいいよ)

I've found my friends ...(友達を見つけたから)

They're in my head (俺の頭の中にいたんだ)

I'm so ugly, but that's okay, 'cause so are you ...(俺は不気味さ。でもまあいいか。お前もそうだからな。)

これはニルヴァーナの「リチウム」という曲の歌詞の一部だが、「リチウム」は薬品として精神病に処方されることがある。そこからまるで麻薬を連想させる様な歌詞になっているように聴こえるような気がする。コバーン自身に処方されていたのかもしれない。


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尾崎はツアーの途中で倒れツアーが中止になり、肉体的疲労から覚せい剤に手を出し、覚醒剤取締法違反で逮捕され精神的にもまいっていた。しかし結婚し長男が生まれ、新たな門出を決意した尾崎はアルバムでオリコン1位を記録。大規模ツアーを行うも、所属事務所やマスコミへの猜疑心(さいぎしん)が晴れることはなく、個人事務所を立ち上げるも多忙に追われ、再び精神的に追い込まれ自殺未遂をしてしまう。

尾崎の曲の「僕が僕であるために」の歌詞『僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない』と歌っている通り、自分に厳しい人であったのだろうと思う。負けることを認めないことは強さにつながるが、同時に硬直し折れやすい自分になっているのかもしれない。それがゆえに自殺未遂が勝ち続けようとした結果だとしたら何だかやるせない思いがする……。それでも尾崎は音楽と向き合うのをやめなかった。


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共通点4 結婚して子供がいる

コバーンは配偶者にホール(ロックバンド)のコートニー・ラブがいる。娘はフランシス・ビーン・コバーン。コートニーとは23歳の時に結婚。式を通してカートはパジャマ姿であった。忘れ形見のフランシスはモデルを務めている。(2014年)フランシスはジ・イーリーズ(ロックバンド)のイザイア・シルヴァと結婚したが、2年後の(2016年)に離婚が報じられた。そして2023年には伝説的スケートボーダーのトニー・ホーク(55)の息子ライリー・ホーク(30)と2度目の結婚をした。式はオルタナティブロックバンド、R.E.M.のボーカルで、フランシスのゴッドファーザーであり、生前のカートとも交流があったマイケル・スタイプが執りおこなった。

フランシス・ビーン・コバーン(左)とライリー・ホーク(右)画像出典「SPUR.JP」



 

尾崎は22歳で一般人の女性と結婚、翌年長男が生まれ、新たな価値観を見出した尾崎は1990年(平成2年)、レコード会社を古巣のCBSソニーに復帰、2枚組アルバム『誕生』をリリースし、オリコン1位を記録。20代になってからの尾崎は、かつての「自由」「反支配」といったものとは違い、「真実の愛」「贖罪(しょくざい、罪を償うこと)」「罪」といったものを主題にした歌を多く作っていった。

 

尾崎 裕哉(ひろや)尾崎豊の息子。

尾崎裕哉 画像出典「東京新聞」

2歳の時に父が死去。その後5歳頃に母とアメリカ合衆国・ボストンに渡り、15歳頃までを過ごす。そのため英語が堪能である。

慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科修士課程を修了。

2016年9月5日にメジャー・デビュー・シングル『始まりの街』のデジタル配信が開始。父と同じでギター、ピアノができる。


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共通点5 二人とも若くして亡くなっている

人生の最後の数年間、コバーンはヘロイン中毒や、双極性障害などの慢性的な健康問題に悩まされていた。1994年4月8日、コバーンがシアトルの自宅で死亡しているのが発見された。警察は、コバーンが頭部をショットガンで射ち抜き死亡したと結論づけた。27歳没。

遺書には強烈な筆圧で、親交のあったニール・ヤングの「ヘイ・ヘイ・マイ・マイ」の歌詞の一部「It's better to burn out than to fade away(だんだん消えていくよりも燃え尽きる方がいい)」が引用され、ステレオからはR.E.M.のアルバム『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』が流れっぱなしになっていた。遺書には他にも有名になったことへの苦痛が記されていたという。

コバーンは死後、ニルヴァーナのバンドメンバーであるクリス・ノヴォセリックデイヴ・グロールとともに、資格を得た初年度の2014年にロックの殿堂入りを果たした。ローリングストーン誌では、「史上最も偉大な100人のソングライター」、「史上最も偉大な100人のギタリスト」、「史上最も偉大な100人のシンガー」の3リストにコバーンを入れている。また、「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大なシンガー」で7位に選ばれている。

1970年前後に話題となっていた『27クラブ』を4半世紀ぶりに決定づけたことでも知られる。カートの母は「あの子は愚か者のクラブに仲間入りしてしまった」と嘆いたという。

Smells like teen spirit」の最後の歌詞で、『A denial(拒絶)』という言葉を何度も歌って終わる。まるでコバーン自身のこの世界への思いであるかのように……。

ロックの世界を変えた男としては、あまりにも早い、そしてあまりにも衝撃的な最後に思えて仕方がない。


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 ※『27クラブ』とは、世界的に名声を手に入れた音楽家や俳優などの若者が、何人も27歳で怪死していることからつけられた名称で、特に有名な人物が、音楽家ではブルースギタリストのロバート・ジョンソン、ロックバンド「ローリング・ストーンズ」の元リーダー、ブライアン・ジョーンズエレキギターの神様ジミ・ヘンドリックスサイケデリックロック黎明期(れいめい期)の立役者ジョニス・ジョプリンなど。日本人では古くは歌人源実朝(みなもとのさねとも)、詩人の金子みすゞ、俳優の夏目雅子などが挙げられる。

 

 

尾崎は、1992年(平成4年)4月早朝、当時の尾崎の自宅であるマンションから約500メートル離れた民家の軒先に全裸で傷だらけで倒れていたところを、家主の妻に発見された5時45分ごろ、通報で病院に運び込まれる。診察した医師は「生命に関わることも考えられるので、専門医に診てもらった方がいい」と診断したが、尾崎は妻と兄とともに自宅マンションに戻る。しかし、10時頃になって容体が急変、呼吸が止まっているのに気がついた家族が119番通報。病院で手当てを受けるも、午後0時6分に死亡した。死因は肺水腫だった。26歳だったが、数え年だと27歳であり、コバーンと同じ『27クラブ』の一員とも言われている。後日、雨の降る中4月30日(木)東京都文京区の護国寺にて葬儀・追悼式が行われ、参列者は4万人近くに上り、規模は美空ひばり吉田茂に匹敵するものとなった。

 

 

この二人は私の青春時代にとって切っても切れない関係にあると思う。私はこの二人の奏でるメロディーと歌詞に勇気づけられてここまでやってきたように感じる。おそらく読者の諸君もそうかもしれない。

忘れてはならない。二人とも苦難を乗り越えて短い人生をまるで稲妻のように激しく駆け抜けた、偉大なアーティストであり、今もなおその生きざまと音楽で人々を勇気づけているのだということを。

 

7月11日は、米国のDJアラン・フリードが『ムーンドッグズ・ロックンロール・パーティー』という番組を立ち上げ、チャック・ベリーやリトル・リチャード、レイ・チャールズといった黒人アーティストの音楽をラジオでへビーローテーションで流す番組として成立させた日である。流す曲のほとんどを「ロックンロール」と呼称して紹介し、「ロックンロール」という種類の音楽の呼び名を創ったのが1951年のことだ。

そんな日にこの記事を上げられることを光栄に思う。