ロディニアのアニメブログ

アニメについて自分なりの考えを書いています

「君の名は。」について思うところ

あなたは恋をした事がありますか? 特別な、大事な人はいますか? その人はすぐ

に会える距離にいますか? それは現実ですか? 

もしもすべてが夢だとしたら……。

 

 

君の名は。

 

画像出典元「KADOKAWA」より

 

 

君の名は。」:新海誠監督作品の2016年公開のアニメーション映画。東京に暮らす少年・瀧(たき)と飛騨地方の山深い田舎町で暮らす少女・三葉(みつは)の身に起きた「入れ替わり」という謎の現象と、1200年ぶりに地球に接近するという「ティアマト彗星」をめぐる出来事を描いている。

 

君の名は。」と私の出会い

 

まず私が高校生の頃位か、当時話題になっていたアニメ映画、細田守監督「時をかける少女」がテレビでやっていたのでワンシーンだけ見たのだが、それを観たとたん、眩しい青春描写に私はムカムカしてすぐにテレビを消した。何故ムカムカしたかと言うと、私にしてみれば、そんな綺麗ごとの青春なんてうそっぱちに見えたからだと思う。なんとみじめな青春を過ごしていたかと自覚していた。本当にもったいない! それ以降細田守監督作品は「おおかみこどもの雨と雪」、「サマーウォーズ」などは一切観ないことにしたのだ……当時は浅はかな決断とはまったく思わなかったのだ。しかしアカデミー賞にノミネートされた「未来のミライ」はちゃっかり視聴しているのだしかも多大な感動を受けて。……(笑)

君の名は。」も「時をかける少女」と同様に青春真っ盛りな高校生が主人公の映画であることから観る前から毛嫌いして観ようともしなかった。そんな私がなぜ見ようと思ったのかというと、中学生時代に友人の紹介で新海誠監督の「ほしのこえ」を観ていてそれは何となく好きだったのと、「君の名は。」の異常な観客動員数である。日本でも記録的な動員数だが当時、中国での海外映画収益で歴代1位を取っていたのだ。私は名誉と記録に弱いみたいだ(笑)。

正直、劇場で観たわけではなく、実家のHDの録画で観たのだが、アラサーにもかかわらず、ラストに号泣したのが「君の名は。」との出会いであった。

 

イジメと音楽

 

物語序盤、学校に登校している三葉が、クラスの一部の連中に聞こえる様に陰口をたたかれるという意地悪をされている描写があるが、音楽のブルースもアメリカで差別されていた黒人によって生み出された、軋轢(あつれき)からの解放を求めて作られた自由を求めた音楽であり、そこから派生してジャズやR&B、ロックンロールが生まれている。黒人差別もひどいものだったが、日本でも陰湿ないじめによる被害は学校でも職場でも後を絶たないが、こうした背景から生まれたのがブルースやロックなのだ。人間が自由を求めて生み出したものなのだ。だから聴いていて勇気づけられるのだ!

 

 筆者の好きなロックの曲は、ビートルズの「ヘルプ!」で、それが音楽への目覚めのきっかけだった。12歳頃であったか。当然ビートルズ世代ではないが、父のカセットで聴いていたり、某テレビ番組のオープニング曲でもあり、イントロなしでいきなり「ヘルプ!」と歌が入ってくるが印象に残った。歳を取るにつれて歌詞もいいことに気がついたりと、人生を左右した大切な一曲だ。


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 アメリカのロックバンド、グリーンデイの「Boulevard of Broken Dream(ブールヴァ―ド・オブ・ブロークン・ドリームス)」という孤独を歌った曲があるのだが、大学1年の春休みに帰省いた時、ちょうど母が病気だったことを私に隠していて、ウィッグが取れて髪の毛が抜けてしまった母を見て大きなショックをけた。この曲を聴いていた大学時代、熱があっても肉体労働のバイトをしたり、単位取りに必死になって「孤独でも自分は頑張ってるんだ」と言い聞かせて学生生活前半を送っていたのだが、結局体を壊してしまう。なんとか体を壊して大学を卒業して、その後アルバイトばかりしている時にもこの曲が自分を鼓舞し、自分を支えてくれた。まさに名曲だと思う。


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入れ替わり

 

替わりによって出会った瀧と三葉。瀧は三葉の体に興味津々で(笑)、三葉は戸惑っている。ある意味ではトランスジェンダーのようにも思える。近年ではダイバーシティという言葉がある通り、そういう体と性の不一致のマイノリティーの人々でも安心して暮らせるという社会を世界中で目指している。

入れ替わりで、互いの周囲の人々との関係も徐々に変わっていく。

 

男女で反対の性別で育てられる「とりかえばや物語」と小野小町の「夢と知りせば覚めざらましを(夢と知っていれば目を覚まさなかったのに)」という『古今和歌集』の歌が物語のモチーフになっていると新海監督は発言している。「入れ替わりと夢」というのが「君の名は。」のポイントだ。じつはタイルも、「君の名は。」ではなく「夢と知りせば」、「かたわれ時の恋」にしようかと考えていたこともあったという。高橋留美子先生の「らんま1/2」の影響も受けているとか。確かに男女の入れ替わりという点で影響を受けている。 

それにしても「とりかえばや物語」は、現代のアニメや漫画、ライトノベルの題材にも通じる……考えた人は不明だが、千年先を見据えた天才だったのではないか!

 

「ムスビ」の考察への出発点

 

 「君の名は。」の瀧の心が宿った三葉が、三葉の妹とおばあちゃんとご神体の処へ行く道中、休憩に「おむすび」を食べるシーンがあり、そこでおばあちゃんがムスビについて説明する。おばあちゃんは「糸を繋(つな)げることもムスビ、人を繋(つな)げることもムスビ、時間が流れることもムスビ、ぜんぶ、同じ言葉を使う。それは神さまの呼び名であり、神さまの力や。ワシらの作る組紐も、神さまの技、時間の流れそのものを顕わしとる。よりあつまって形を作り、捻れて絡まって、時には戻って、途切れ、またつながり。それが組紐。それが時間。それが、ムスビ。」と言ったシーンがある。「ムスビ」とは何なのか。解き明かしてみたい。

 

ムスビと産霊(むすび)と結び

 

今現代でも手で結ばれた飯を「おむすび」というが、食べやすい形にしただけでなく、もっと神秘的な郷愁(きょうしゅう)を感じさせる食べ物だと思う。シンプルに米を握り固め、さまざまな具を入れ、もち運びにも便利だ。『結ぶ』という言葉は、奈良時代には「むすひ」と発音され、「むす」は『産』、『生』という意味を持ち、「ひ」は霊力を表す言葉であったらしい。つまり、「むすび」とは、何かを生み出す人知を超えたものだったと思われる。

「むすぶ」という言葉には「契り」や「結実」、「完結」などの言葉になって完全なもの、揺るぎないもと言った意味で今も我々の暮らしの中に根付いている。男と女の「結び」は完全でないものが一体になることで完成され、実を「結ぶ」とは、ことの完結を祝う時の言葉だという。

 今も我々の暮らしの中で祈りの心を表す時に、物と物を結び合わせる習慣が残っている。 <水引>や<しめ縄>がまさにそうであり、結婚など人と人との縁や、おみくじなどを枝に結ぶのも日本人の原像が残っているからかもしれない。

画像出典元「@DIME」より

 

「ひ」は霊力を表す言葉であったらしいと先ほど述べたが、「ひ」という音には実に不思議なチカラが宿っているという。男女の仲を結ぶ、「結び」という言葉の中にもスピリチュアルな雰囲気漂う「霊(ひ)」の音が隠されている。結びの語源は、「生す(むす)」「霊(ひ)」にある。

その「生す霊」は「産す霊」であり、「産霊」は古来から神道においても大事な観念として語り継がれている。「ムス(産)」には“生み出す”、「ヒ(霊)」には“神霊の神秘的な働き”という意味のがあり、ムスヒ(産霊)とは、「結びつくことによって神霊の力が生み出される」ことと解釈されている。

「むす」は、「苔生す(こけむす)」や「料理を蒸す」などの「むす」を意味しており、温暖多湿の気候風土の中から生命が生まれてくる過程を表している。アニメでは周囲を水で守られたほこらへと進んでいくが、この水も命を生み出す大切な要素だと思われる。

 湿っぽい環境の中から生命が誕生するのである。宮崎駿監督作映画「もののけ姫」にも登場する鬱蒼(うっそう)とした森とその中に存在する池が連想される。もう一度言うが、天地・万物を産みなす神霊、むすびの神のことを産霊(むすひ)と言う。天照大神と共に、高天原の至上神とされる高皇産霊神(たかみむすひのかみ)や神皇産霊神(かみむすひのかみ)の名前にも「むすひ」という言葉が見られる。日本最古の歴史書である古事記には、“天地が形成された始まりの時に、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみムスヒのかみ)、神産巣日神(かむムスヒのかみ)という三柱の神が現れた”と記されている。
 この中の2柱の神名にも「ムスヒ」が見えることなどからも、「天地万物を生成する霊妙な力をもつ神霊」とも定義されている。いかに「産霊」が大事にされてきた観念であることがうかがえる。

 また、霊力によって命を宿し産まれるものを息子、娘と呼ぶが、息子という言葉のルーツは「産す子(むすこ)」であり、娘のルーツは「産す女(むすめ)」である。

古来、「願いを込めて結ぶことは、人の想いまでをも留まらせることが出来る」と考えられていた。瀧と三葉の互いを想う心の深さは「願いを込めて結ばれた」何かがあったからなのだろう。

神社でも「しめ縄」という形で幾重にも結ばれた縄で結界を張っているし、願いを込めておみくじを木の枝などに「結ぶ」行為が今日でもなされている。

 

水引

 

水引も紅白の紐を「結ぶ」ことにより、<人と人を結びつける>という意味が込められ、結婚式やお祝い事などめでたい場で使われることになったのだろう。また、白と黒の紐を使う場合は凶事に使い、悪縁を断ち切るため、結びながら切ることを強調していると思われる。

 

 

画像出典元「ギフトマナー事典」より

図1水引

 

先程今の人もおみくじを引いた後に木の枝に結んだりすることを述べたが、昔の人も今のおみくじに似た習慣を持っていたようである。万葉集に、「磐代(いはしろ)の野中に立てる結び松」という歌が出てくるが、その歌がそのことを表している。誓いをかけたり契りを結んだ印として松の小枝に結んでいたようである。

画像出典元「たーぶらんの戯言」より

図2.大阪御霊神社の茅の輪。

君の名は。」に出てくる瀧は立花姓で、三葉は宮水姓であるが、この立花姓と宮水性は兵庫県に多い。また、日本三大名酒の里がある灘は兵庫県で、その灘の日本酒に使われる水を「宮水」と呼んでいることから、三葉の祖先はこの宮水家とつながっていても何ら不思議はないと思われる。その証拠が作中にある「口嚙み酒」という酒との縁ではないかと思う。

 

 

画像出典元「浅草 桐生堂」より

 

 映画「君の名は。」では組紐をくみ上げる場面が登場するが、シンガーソングライターの中島みゆきさんの「糸」という曲は、人と人との縁のつながりをたての糸と横の糸が織りなして布が出来るようだとして表現しているが、組紐をなんとなく想像させる。縁というものを糸が絡まり美しいものを創り上げていることに例えているのではないかと思う。現実では糸が絡まるとやっかいなことになっていやがることも多いのだが、この組紐では糸と糸との絡み合いこそが美しいのだと表現されている。もしかして、人と人との縁とは、たとえ結びが合わなくても絡み合うことでも美しいことなのではないか。そんなことを感じさせる。ひとつひとつ組み上げられている縁は、必ずしも結ばれなくてもどれほど素敵で輝かしいことか。そんなことを想像し、人と人とが縁をつなぐこと、そのことを心から願った。

新嘗祭(にいなめさい)と「結び」

 

新嘗祭は、その年の収穫に感謝して初穂を備えて神々をもてなし、共に食すことで契りを深め神様の御力を頂く、宮中でも大事にされている儀式だ。また、新嘗祭はその年の勤労で結んだ成果を国民一体となり神様に捧げ、そのご縁を深く「むすぶ」儀式でもある。

 

万物に神が宿ると考えられていた古来の日本では、物の結び目までも神の心が宿っていると考えられていた。身の周りの「あらゆる『ムスビ』に感謝して生きる」ということには、先人たちの<万物との調和を尊ぶ心>が現代でも息づいていることがわかる。

 

ロープの結び目

 

ロープもその「結び」の一種で、力強く絡み合い人間を何世紀にもわたって助けてきた存在だ。その結び方にも人の願う心が見えるような気がする。

そこで結び方の例をいくつかとり上げてみたいと思う。

「ロープの結び」には、ロープの端っこを結ぶもの、そして中ほどを結ぶもの、さらに二本のロープ端っこを結ぶものなどがある。

まず、ロープの端っこを結ぶものとして、「ひと結び」を紹介したい。「ひと結び

画像出典元「ひと結び - Wikipedia」より

これは芯に結びつける結び方の中で最も単純なもの。

 

止め結び」 (1端)

画像出典元「ウィキペディア(Wikipedia)

ロープに輪をつくり、そこの中にロープの片端を通すことによってつくる。最も単純なストッパー・ノットである。

これを0端(端っこのない結び方)と言ったりもする。

次に紐の中ほどに輪を作る結び目。

この例としては「よろい結び」がある。

画像出典元「ウィキペディア(Wikipedia)

これは、ロープの中ほどに輪をつくる結び方で両端を使わずに結ぶことができる。ロープ本線を強く引くと輪が小さくなってしまいやすく、それほど強固ではない。左右非対称のため、引く方向を考慮して結ぶのが望ましい。

 

最後に2端(紐の2端で作る結び目)、つまり

紐の2端で作る結び目には、次のようなものが挙げられる。「本結び」「蝶結び」

本結び

画像出典元「ウィキペディア(Wikipedia)」より

 

蝶結び

画像出典元「ウィキペディア(Wikipedia)」より

端と端を結ぶ方法。一度2つの端を絡めたあと、左右に広がるような形に2つのループを形成させて再度結ぶが羽根を広げたような形に見えることからこう呼ばれる。装飾性が高く、非常にほどくことが容易であるため、靴紐を縛る時やリボン髪を結う時などに使われる。

ところで、先ほど結び方の中で「止め結び」というのを紹介したが、この中に「三葉結び目」と呼ばれるものがあるという。最も単純だが、かたく結ぶ結び方のようで、結び目理論では「三葉結び」目と呼ばれる。

三葉が、瀧との別れを止めて、結ばれようとしていくまさに最後の場面が、その結び目ではないか。そんなことを考えた。

 

生きにくい時代だからこそ

 

『心の中で「自分ダケ」という毒キノコを育てていませんか?』という言葉がある。これは薬師寺の大谷徹奘(てつじょう)和尚の著書「みんな迷いがあるんです」での言葉だが、近年、確かに「死刑になりたいから」とか「死にたかった」だとか自分も周りも見えずに凶悪犯罪に手を染めてしまう人が増えているように思う。確かに景気も良くないし、SNSによって人間関係はより気薄になってきているのにもかかわらず複雑化して自分と相手との関係性もよくわからなくなってきている。そんな有様だが、「自分だけ辛い」と考えてしまうことは自暴自棄に陥り、自分自身を大事にできないことはおろか他人の命までも軽く見るようになってしまう……そう考えることは、心に良くないのではないか。「下を向いていたら、虹は見つけられないよ」とは、「街の灯」「モダンタイムズ」「ライムライト」などの作品で知られる喜劇王チャップリンの言葉だが、彼も幼少期より苦難の多い人生を送ったが、上を見続けたから今日の偉業と評価があるのだ。

宇宙戦争」「透明人間」「タイムマシン」などの作品を残したSF小説の父と言われるH・G・ウェルズは「昨日倒れたのなら、今日立ち上がればいい」という言葉を残している。人生にはいい時も悪い時もある。しかし上を見ていなければ良いことに気が付かない場合もある。失敗しても次に生かせればいい。何も自分を追い込むことはない。

 確かに人生は残酷で失望ばかりさせられることが多い。しかし、一方で瀧や三葉のように人生を切り拓いて起こせる出会いや奇跡もあるのではないか。一寸先は闇ではあるが。

コロナ禍で、SNSによる中傷で、生きにくいかもしれない時代になってしまったようだが、どこかに必ず希望がある。悲観するのはまだ早い。新海誠監督、瀧と三葉はそのことをスクリーン越しに私たちに伝えているのだと思う。

 

先ほどの徹奘(てつじょう)和尚は、「縁は生き物である」とも説いている。鉢植えをプレゼントされた和尚は、水をやったり日に当てたりして世話をしたらつぼみが膨らみ、花が咲いたのを見て、「もらった苗木を枯らさずに、花を咲かせるためには、「育てる」という行為が不可欠で、世話をして時折『がんばれ』と声をかけてやる。そうしていくうちにやがて花が咲き、実を結ぶ。縁もこれと同じで自分が面倒がれば、そこで枯れてしまう。だから「縁は生き物」なのだ」と。

瀧と三葉は縁を結べているのだろう。二人は互いに出会うことを求めていたのだから。そこからどうなるかは彼ら次第である。

「何もかも失っても、未来だけはまだ残っている」とは米国の作家、弁護士のクリスチャン・ネステル・ボビーの言葉だが、その通りではないか? 自らの未来に責任を持ち、堂々と、ゆっくりコツコツでもいいから、自分らしく夢に向かって生きて行きたいものである。

画像出典「紀伊國屋書店」より

 

 

君の名は。」では酒が作品の重要ポイントとして出てくる。

お酒というものはストレスを軽減させてくれたり、飲み二ュケーションと言葉がある通り、適切に呑めばリフレッシュや人間関係が円滑になったりといい面もあるが、飲み過ぎや悪酔い、二日酔いなど悪い面もある。また、酒に弱い人、飲めない人に無理にすすめるのも良くない行為だ。アルハラ(アルコールハラスメント)、ダメゼッタイ!

 想像だが、大人になった三葉は酔うと笑い上戸(酔うとよく笑う)になるのではないかと思う。おしとやかな性格なので一緒に呑むと楽しそうだ。優しい性格のテッシーとさやちとも一緒に楽しく飲めそうだ。

瀧は喧嘩っ早い性格なので性格的に絡み酒(酔うと人に絡んでしまう)、絡まれ酒のように思う(笑)。瀧と司と高木とは大学生になって一緒に飲んだんだろうなと思う。夢を語り合ったり、愛に憧れていた……そんな会話をしながら飲んだのではないか。なんともうらやましい青春である。しかし瀧は三葉がどうしても心の中に残っていて虚しい気持ちになっていたのかもしれない。

 

筆者は大学時代を新潟で過ごしたが、新潟と言えば米どころ、淡麗辛口の日本酒の聖地である。「八海山」や「上善如水」に「鶴亀」、「久保田」などの他にも地酒が充実しており、質のいい日本酒が飲めるのだ。

筆者は最初、学科の同期とはなかなか馴染めなかったが、3年生の地質調査の進級論文で宿泊していたロッジで同期と一緒に呑んで馴染んでいった。先輩にも「お前面白いから飲み会もっと出てくれよ」と言ってもらえ、すごくうれしかったのを覚えている。それからは仲のいい先輩や友人も増え、卒業してだいぶ経った今でも付き合いのある友もいる。私にとっての人生の宝である。

 

 

世界最古の酒は蜂蜜酒(ミード、MEAD)で1万4千年ほど前と、農耕以前だったと言われている。クマに荒らされた蜂の巣から自然にできた酒であったという。

ミード、MEAD

 

画像出典元「とちさけショップ 天鷹

ネムーン(honeymoon蜜月)は、ヨーロッパでは新婚夫婦は約ひと月蜂蜜酒を造る(蜂蜜は栄養価が高いので精力、暗に子作りの意も)。

 

エジプト神話のオシリス神は麦から酒を造り、豊穣(ほうじょう)の女神イシズが人間に教えたとされ、その酒がビールである。「週刊少年ジャンプ」で連載されていた高橋和希先生の漫画「遊☆戯☆王」では「オシリスの天空竜」というモンスターが登場するが、おそらくオシリス神がモデルであろう。イシズという女性も登場するがこのキャラもここから取ったのだろう。初期の「遊☆戯☆王ファン」ならばピンと来るはずだ(笑)。近年では、大麦などの穀物と共にメソポタミアのシュメールよりエジプトにビールが伝わったと考えられている。

オシリス

画像出典「ウィキペディア(Wikipedia)」より

ローマ神話ではワインの神である酒神バッカスがおり、ギリシャ神話ではディオニューソスと呼ばれた。ワインは当時、ブドウを大きな樽に入れ、若い娘が踏んでそれから醸造していた。

旧約聖書によるとノアの方舟で、神がブドウの栽培とワインの作り方を授けたとされる。

キリスト教ではワインは「神の血」として尊ばれ、洗礼にも用いられる。

仏教においては原始仏教では禁酒だったが般若湯(はんにゃとう)として酒を用いる習慣もあり、比較的寛大である。

 イスラム教・ヒンズー教は禁酒だ。罰則として罰金やムチ打ちの刑が存在する地域もある。だがトルコなどのイスラム教の少数派アレヴィー派では飲酒は合法とされている。

 

 

口嚙み酒

 

口噛み酒は穀物を口に含み噛んでは吐き出す、また噛んでは吐き出すことを繰り返し醸造して造る。古代日本では巫女がその役目を果たす。西洋ではワインのブドウ踏みも若い女性がやっていた。若い女性という共通点が見えてくる。世界共通に男、おじさんやおばさんではダメのようだ(笑)。古代日本、アイヌ、沖縄奄美諸島中南米、アフリカなど世界中で作られていたが、アマゾン奥地でしか残存しない。また、口噛み酒は日本列島への渡来時期や文化的に日本酒の原形ではないと考えられている。

 

日本酒の起源

 

『播磨(はりま)の国風土記』に716年、干し飯が水にぬれてカビが生え、それを用いて酒を造り宴会をした記述があり、コウジカビの酵素による糖化作用で、日本酒の原型、元であると考えられている。  

名酒の里、神戸の灘地域の地層から出る「宮水」(ミネラル豊富な硬水)は「宮水三葉」の名前の元ネタなのではないか?さらに「立花」という苗字は兵庫県でも多く、もしかしたら三葉の先祖は瀧の先祖と杯を交わしていたり、前世でも出会って結ばれていたのかもしれない。そんな想像も確かなものではないかと思う。だとしたらロマンチックだ。

 

現在も吞まれている日本酒でも、名酒の酒処(さけどころ)と呼ばれる場所が存在する。

 

「三大酒処」は兵庫の灘と京都の伏見、広島の西条である。

1.兵庫の灘――辛口の男酒と呼ばれることも。水は硬水。(宮水)

菊正宗酒造

 

画像出典元「SAKE TIME

 

 

剣菱酒造

画像出典「楽天市場」より

 

 

 

 

2.京都 伏見――稲作伝わる弥生時代から酒造りがなされていた様だ。甘口で肌のようになめらかな感触で女酒とも呼ばれる。

 

玉乃光酒造

画像出典「玉乃光酒造



 

 

京姫酒造

 

画像出典「株式会社 京姫酒造」より

 

3.広島 西条――吟醸酒の里とも。軟水。

賀茂鶴酒造

画像出典「賀茂鶴直営オンラインストア」より

 

 

「四九年一睡の夢一期の栄華一杯の酒」とは戦国時代の武将、上杉謙信が残した言葉であるが、なるほど人生とは名だたる武将の中でも強かった謙信にしてみても短いと思ってしまう儚いものだったのだ。

しかし、今の超高齢化社会では80歳、90歳生きることは当たり前になってきている。謙信がこの時代を生きていたらどんなことを成し遂げていたのやら。

 

 

 

「結び」のテーマ

 

君の名は。」の「結び」のテーマには、瀧と三葉の出会い、そして視聴者達との縁、瀧と三葉が再び出会わないかとみんなで願うこと、監督の考え、作品を作り上げたスタッフの心が劇場で一つの輪になる「結び」なのではないか。

袖すり合うも他生の縁。この作品を通して、私自身、これを閲覧してくれる視聴者との縁もまた、「結び」なのである。