ロディニアのアニメその他ブログ

アニメについて自分なりの考えを書いています。アニメ以外のこともやります。

「君の名は。」について思うところ 2

本当にこんなことが起こったとしたら、自分ならばどうするだろう・・・・・・。

「あの人と入れ替われば人生楽しいんだろうなあ」と思った事があるかもしれない。

君の名は。』この物語はそんな主人公たちの、外見ではなく心、

中身の入れ替わりが象徴的である。

 

入れ替わりによる出逢い

君の名は。」より私が撮影

 

アニメ「君の名は」は入れ替わりにより、二人が出会っていくというストーリーから始まっている。瀧(たき)が三葉(みつは)の身体で自覚めたとき、何か胸に違和感を感じる。それは、おっぱいがあるから。ん? なぜ? と瀧は不思議がるが、これは何という衝撃だろう。古今東西、男というものは女というものに憧れを抱いて生きている。その憧れの身体の中で目覚めたのだから。だが、瀧はその至福の時を味わうことなく、なんだこれと状況が理解できないでいるようだ。その混乱の最中、妹が起しに来る「姉ちゃんなんで胸さわっとるん? ごはん!」と。いやらしさを感じる間もなく、ここに何かおかしみが生まれている、コミカルなシーンだ。

三葉に入れ替わった瀧

 そして次の場面では、三葉は、瀧の身体で目覚めるのではなく、三葉白身の身体で目覚める。妹の「今日はまともやね」という言葉から、前日の行動の異常さが浮かび上がる。どんな行動をとったのか、それは前段であった行動、つまりおっぱいをさわったのである。瀧が三葉の身体に入れ替わった時、反対に三葉が瀧の身体に入れ替わった時の行動を描かずにいることが、かえって深く興味を抱かせる。

次の日三葉が登校すると、勅使河原克彦(テッシー)と名取早耶香(さやち)から「今日はまともやね」「ありやキツネツキだわ」と言われ、さらに前日の学校での行動の異様さが強調される。まともじゃないこととは、一体どんなことがあったのか。そんなことが想像されてますます興味がわいてくる。

君の名は。」より私が撮影

 

 

学校での国語の授業。そこでは、「誰そ彼、彼誰そ、彼は誰」とカワタレ時の学習をしいるが、もしかして、それは語順をかえることで出来る「カタワレ時」という「入れ替わりの半分」のことを意味しているのかも知れない。

君の名は。」より私が撮影

ついで、三葉が先生にあてられる場面がある。先生は「今日は自分の名前忘れてないね」と言い、みんな笑い。三葉は何も分からず首をかしげる。前日には自分の名前を忘れていた。つまり、自分が誰だか分からなかったということが分かる。前日の様子がありありと想像される。

そして三葉のノートに「お前は誰だ?」と身に覚えのないメモがある。これにより、誰かとの入れ替わりがはっきりと認識される。

君の名は。」より私が撮影、瀧の姿の三葉

今度は、三葉が瀧の体で目覚める。下半身に違和感「なんや・・・ある・・・」触ってみる「ひゃあ!?」感触が!これは驚くだろう。また、左頬にガーゼが。触って「痛い!」前日に何があったのか。

「トイレ行きたい…」まだ見たことなかったのに・・・仮にも巫女なのに・・・顔赤らめため息つきながらトイレから出て玄関のドアを開ける。このシーンに純情な乙女の困惑が爽やかに描かれていて好感がもてる。

 

君の名は。」より私が撮影、三葉の姿をした瀧

 

瀧は、三葉の身体で目覚め、ニヤリとし胸に触れる。一方三葉は、瀧の身体で目覚め、また下半身に違和感を覚え、なんなのよこれ!・・・と。男女の差異なのか分からないが、登場人物の心情に共感できる。

君の名は。」より私が撮影、瀧の姿をした三葉

  

入れ替わりの設定について 

 

古典の「とりかえばや物語」は入れ替わりの代名詞的作品だが、男女が立場を入れ替えて育てられるだけで中身が入れ替わっているわけではない。今回、新海誠監督は最初の企画案から<とりかえばや>という言葉を使っていた。男女がスイッチする物語を作るに当たり色々な本や映画を参考にしたそうだ。そこで監督が思ったのは「ジェンダーの差異の話にはしない」ということ。

 

「今は男らしい女の子も女らしい男の子も普通なので、とりかえばやをジェンダーの差異の面白さで見せることが成り立ちにくいと思うんですよね。その中で「ぼくは麻理のなか」(押見修造)は女子高生になってしまったさえない大学生が彼女を取り巻く環境をのぞき見る話になっていて、その面白さの方が共感性があるなと思ったんです。むしろ「らんま1/2」(高橋留美子)のような、ひとりの人が別の人間になるスイッチの面白さや、お互いの見ている風景を感じて、そこでお互いを知るというところがポイントになればいいなと思いました」

(新海誠インタビューより)

 

 

参考図書

 加えて参考にしたのはグレッグ・イーガンの「貸金庫」という短編。朝起きるたびに違う人間になっているという物語で、韓国映画の「ビューティーインサイド」にも共通するものがあると思って観に行ったそうだ。読者の皆さまにもぜひさまざまな<入れ替わり>を楽しんでみてほしい。

 

 

 

ドラえもんと入れ替わり

 

国民的アニメ「ドラえもん」の3D映画「スタンド・バイ・ミー ドラえもん2」では、未来ののび太と現在ののび太の中身の入れ替わりがある。自然概念がどうのではなく、コミカルで面白い発想だ。

 

 

そして大人ののび太が子供の体に戻って、少年期時代のジャイアンスネ夫、しずかと遊び、野球をしたりと数十年ぶりに子供の頃の体験をして大人ののび太は感動の連続なのだ。視聴した子供たちはドラえもんとしてみられるし、アラサーの私にとっては懐かしさと「そんなことしてみたいなあ、歳をとったなあ・・・・・・あいつら元気かなあ・・・・・・泣けてくるなあ」と子供と大人で別々に感動できる二重構造になっているのだ。

誰でもが大人になれば仕事もしなければならず、あるいは子育てだとか、同僚との付き合いだとかで子供の頃からの友人に会えなくなる事が多いのではないだろうか。忙しくて自由がきかないと。そんなとき、ふと「ドラえもんがいてくれたらなあ」と我々世代は思うのではあるまいか。

タイムマシンに、タイムふろしき、タイムテレビ、など時間を操る道具が多数登場する。

ドラえもん」の生みの親、『藤子・F・不二雄先生』の発想は奇想天外だけではなく人の思いに寄り添っていて実に素晴らしい。「ドラえもん」は一番優しくてわかりやすいSF漫画であろう。

 

 

ドラえもん」や映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のような『タイムマシン』は、まさに人類の夢なのではないか。「あのときああすれば・・・」「なんであんなことを・・・」と時には取り返しのつかない失敗も戻せるかもしれない・・・そんなことを修正できるのならば必ず修正したいと誰にでも後悔はつきもの、それが人生である。しかしもし、それを直せたのなら。

タイムマシンの原案は、正確には1887年、スペインの作家エンリケガスパール・イ・リンパウの『アナクロノペテー(時間遡行者/時間遡行機械(そこうきかい))』で登場したのが初まりであるが、有名にならず、時間を遡(さかのぼ)るだけであり、「未来へいく」という概念は存在しなかった。

時間移動を最初に描いたのは、「トム・ソーヤの冒険シリーズ」のアメリカの作家マーク・トゥエインの1889年の『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』だが、マシンは登場しない。この作品でも「過去へ行ったり、小説内での当時の現在に戻る」ということはあっても、「未来に行く」という概念は存在しない。

今の「タイムマシンもの」に影響を与えたのは、イギリスのSF小説H・G・ウェルズの『タイム・マシン(1895年)』で過去にも未来にも行くといった「タイムトラベル」を行うことが可能で、「ドラえもん」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」などもこの小説に登場するタイムマシンを元としたものが創られている。

画像出典元「ウィキペディア」より

ハーバート・ジョージ・ウェルズ

 

 

タイムトラベルの歌

サディスティックミカバンド「タイムマシンにおねがい」


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原田知世時をかける少女


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時間について

 

 時間とは何だろう。0次元の点が動くと1次元の線となり1次元の線が動くと2次元の平面となり、その2次元の平面が動くと3次元の立体となり3次元の立体が動くと4次元の時間となると聞いたことがある。だがこれはずっとつながった時間の流れを意味する。ところが、時間分岐(じかんぶんき)というものがある。それは時間が枝のように分岐するという時間観、分岐後は複数の異なる歴史の世界が同時進行しているが、その世界同士を互いに並行宇宙または並行世界(パラレルワールド)であるという。量子力学の問題解決のための仮説である多世界解釈も時間分岐の考えを使っている。この仮説もいつか真実となって証明されるかもしれない。

 時間進行の操作というものがある。それはつまり時間の進行を速くしたり、遅くしたり停止したりする。日本の昔話「浦島太郎」で、亀を助けた浦島太郎がお礼に海の底の竜宮城へ招待されるが帰りに乙姫から、絶対に開けてはならないと玉手箱を渡され、この時点ですでに竜宮城に行った時間より周囲の時間は進んでいたのだが、結局玉手箱を開けてしまい、中から煙が出てきてお爺さんになってしまう話や、米国の最初期の小説の一つである「リップ・ヴァン・ウィンクル(1816年)」という、ワシントン・アーヴィングの小説で、ウィンクルがオランダ人の酒宴に参加し眠ってしまい気がついたら20年も経っていた、という話がそれである。それは、タイムトラベル、つまり 時間を移動し、過去や未来に行くことにとても近い。H・G・ウェルズの「タイム・マシン」がそれをはっきりと示している。だが、ホーキング博士(1942-2018)は「タイムマシンは不可能である」と述べた。「過去に行く時間的閉曲線が存在するには場のエネルギーが無限大でなくてはならない」と述べた。過去に行くことはかなり難しいということだと思う。

 

タイムパラドックス

 

 「タイムパラドックス」とはタイムトラベルに伴う矛盾や変化のことで、具体的にはタイムトラベルした過去で現代(相対的未来)に存在する事象を改変した場合、その事象における過去と現代の存在や状況、因果関係の不一致という逆説が生じることに着目したものである。もっと分かりやすく言うと、タイムトラベルした過去で何かやらかしたことで未来が変わってしまう、それが大きな矛盾を生んでしまうということである。

 

 たとえば、『親殺しのパラドックス』。自分の誕生前の両親を殺すとどうなるか、

1どう画策しても殺すことが出来ない(矛盾生じない)

2両親は自分を生む前に死亡するので自分も消滅する。そうすると自分が過去へ遡ることが出来なくなり両親が死ぬこともなくなる。矛盾(パラドックス)である

3両親が死んで自分が生まれない世界が自分が生まれてやってきた未来世界から分岐する(パラレルワールド)。両親が無事だった過去(そもそも時間移動すらしなかった世界)     には何の影響もないので矛盾ではない

 

また、量子力学の世界では時間の概念が一般とは異なっており時間が逆方向にも流れるとされている。それなら過去にもいけるのかな。

 

他にも、同じ時間軸の時間が繰り返される「タイムリープ」ものが存在する。(「涼宮ハルヒの憂鬱」「うる星やつら ビューティフルドリーマー」など)

 

 

 

 今では、タイムトラベル活劇がたくさん生まれている。

1.SFで言うIF世界(仮定世界)歴史が変わったら存在するかもしれない世界

「モンゴルの残光」豊田有恒、『スーパー太平記手塚治虫、「ターミネータージェームズ・キャメロンなどがある。

 

 

2.過去に飛ばされた現代人未来から現代に飛ばされた未来人が高度な知識で救民、社会変革を目指す「闇よ落ちるなかれ」Lスプレイグ・ディ‐キャンプ 「JIN仁」村上もとかなどがある。

 

 

3.歴史上の謎をタイムトラベルで解明したものに、「さよならダイノサウルス」ロバートJソウヤーがある。

 

4.主人公たちがタイムスリップすることで史実が再現されるものもある。

戦国自衛隊」がそうである。

 

 

 

 

 

「孤独」と「君の名は。

 

話は変わるが、「ドラえもん」の話に「どくさいスイッチ」という話がある。そのスイッチを使うと、自分が邪魔だなと思う人間の存在を消すことができるのだが、のび太ジャイアンを消し、スネ夫を消し、気に障った人間ならば誰でも消してゆき、しまいにはドラえもんまで消して世界中の人間も消してしまう・・・・・・。孤独になったのび太は、そこで初めて「孤独」というものの恐ろしさを真に受けるのだ。

1970年に世界最高峰エベレストに日本人で初の登頂を果たし、世界初の五大陸最高峰登頂を成し遂げ、さらに犬ぞり単独行で初めて北極点に到達し国民栄誉賞も受賞した冒険家、植村直己(1941-1984)は、基本単独で冒険するのだが、一番恐ろしいのは「孤独」だと話したそうだ。「失敗したら脱げ道がないと思った。人間社会をさまようよりは大自然の中にしか生きる道はない。弱音を吐きたがる自分に打ち克つしかない。ただひたすら前へ進むこと。」だと。強い精神力を要する事を成し遂げた人でも、「孤独」というものは恐ろしいもののようだ。

 

 

 

君の名は。」で、いつも目覚めると大切なものを失ってしまったような感覚で涙がほろりと泣きながら目覚めていた瀧と三葉も、心にぽっかり穴の開いた「孤独」に近い感覚を持っているのではないであろうか? そこに他の「青春学園もの」と「君の名は。」との大きな違いがあるのではあるまいか。そのために世界的なヒットにつながったのではないか。誰にだって「孤独」というものが心の底から顔を出すことがある。そこに共感するのは世界共通のように感じる。庵野秀明監督のアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の登場人物渚カヲルは、「人は孤独を忘れる事で生きていられる」と言っている。確かに「孤独」は恐ろしいもので、コロナ禍での人と距離を置かなくてはならない状況で、修学旅行も行けなかった生徒さんが日本中にいた時代だ。

しかし、それでも互いのことを瀧と三葉は諦めなかったのではないか。古い歌だが「東京砂漠」と言う歌が唄っているように、人は多くいるのに、皆他人に無関心なのが東京の特徴の一つと今でもよく言われる。「孤独は山になく、街にある。大勢の人間の間にある」とは哲学者、三木清の言葉だ。が、夢を見て上京してくる若者も後を絶たない、「孤独」と「夢」がコインの裏表のように存在するのが大都会東京なのだろう。


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最後に。

綾小路きみまろさんのネタから一つ。「独身の人は結婚したいんです。結婚した人はひとりになりたいんです!」